近年、日本においても外国人投資家の流入により、都市部を中心に不動産価格の上昇が顕著となり、「居住目的の住宅取得が困難になっている」という問題意識が広がりつつあります。とりわけ、投資資金の流入が価格形成に強く影響する局面では、住宅が「居住のための資産」から「金融商品」として扱われる傾向が強まり、社会的な歪みを生みやすくなります。
この点、シンガポールは国土が狭く住宅供給に構造的制約がある中で、早くから不動産の投機化を重大な政策課題として認識し、制度設計によって市場をコントロールしてきた国の一つです。本ニュースレターでは、シンガポールにおける投機抑制の制度設計を整理し、日本の不動産政策・制度設計にとって何が示唆となり得るのか、という観点から検討します。
1.「所有」の前提整理――外国人が買えるもの・買いにくいもの
まず制度的な前提として整理すべきは、「外国人が取得できる不動産の範囲」です。
一般に、コンドミニアム(集合住宅)については、外国人であっても原則として購入が可能とされています。他方で、戸建住宅などの敷地付き住宅(landed property)については規制が強く、住宅財産法(Residential Property Act)に基づき、外国人は原則として当局(Singapore Land Authority)の事前許可を要します。
例外的にSentosa Coveについては特則が設けられていますが、ここでも自由取得が認められているわけではなく、個別許可制の枠組みに基づく管理がなされています。
また、シンガポールの不動産制度の特徴として、完全所有権(freehold)だけでなく、99年等の借地権(leasehold)が広く用いられている点も重要です。公営住宅(HDB)が99年借地で供給されていることからも、住宅を「資産商品」ではなく「居住インフラ」として設計する思想が制度構造に反映されているといえます。
2.投機抑制の中核――印紙税制度による市場コントロール
シンガポールの投機抑制策の中心にあるのが、印紙税(Stamp Duty)制度です。印紙税は、売買契約等の法的文書に直接課税されるため、政策効果が即時に市場に反映されやすく、調整手段として極めて機能的です。
(1) 購入時課税(Buyer’s Stamp Duty)
住宅購入時には、購入者印紙税(Buyer’s Stamp Duty)が課されます。住宅については累進税率が採用されており、2023年2月以降、最高税率は6%とされています。
(2) 追加課税(Additional Buyer’s Stamp Duty)
投機抑制の中核となるのが、追加購入者印紙税(Additional Buyer’s Stamp Duty:ABSD)です。
外国人が住宅を取得する場合、2023年4月27日以降、取得価額に対して60%のABSDが課されます。信託や法人による取得についても、原則65%という極めて高率の課税がなされており、名義や取得形態を工夫することによる制度回避を前提としない設計となっています。
(3) 売却時課税(Seller’s Stamp Duty)
さらに、短期転売を抑制するために売却者印紙税(Seller’s Stamp Duty:SSD)が課されます。
2025年7月改正後の制度では、取得後4年以内に売却した場合にSSDが適用され、具体的税率は以下のとおりです。
・取得後1年以内の売却:16%
・取得後2年以内の売却:12%
・取得後3年以内の売却:8%
・取得後4年以内の売却:4%
・4年超保有後の売却:課税なし
短期保有ほど高い税率が適用される構造により、「短期転売によるキャピタルゲイン」を制度的に抑制する設計となっています。
3.「99対1(99-to-1)」スキームとは何か
近年、制度回避の典型例として問題視されているのが、いわゆる「99対1(99-to-1)」スキームです。
これは、不動産を二人の共有名義で取得する際に、持分割合を99%と1%のように極端に偏らせるスキームを指します。典型的には、外国人や追加課税対象者が実質的な購入資金を負担しながら、課税負担を軽減する目的で、シンガポール国民や永住権(PR)保有者を形式的な主要持分者(99%保有者)として登記し、自身は象徴的持分(1%)のみを取得する構造です。
実態としては、資金負担者と形式上の所有者が乖離する「名義操作型構造」となっており、IRAS(内国歳入庁)はこのスキームに対する監査・摘発を強化しています。監査過程において虚偽または誤解を招く説明を行った場合、最大S$10,000の罰金または最長2年の禁錮刑が科され得ることも明示されています。
4.税務で終わらない問題――名義操作が生む民事リスク
この種のスキームの本質的な問題は、税務リスクにとどまりません。
名義貸しや形式的持分設計は、関係が良好な間は表面化しませんが、関係破綻、離別、死亡、相続といった局面において、「誰が実質的な所有者か」を巡る深刻な民事紛争に発展する可能性があります。
近時の裁判例では、登記上の持分割合ではなく、誰が購入資金を負担したのか、誰の利益のために保有されていたのかという「実質的所有関係」が詳細に審理される傾向が明確になっています。そこに印紙税回避という違法・不当な目的が認定される場合、裁判所が救済を制限する可能性も現実的なリスクとなります。
信託構造を用いた場合であっても、形式のみの「見せかけ(sham)」であれば否定され得ることが、近時の裁判例からも示されています。
5.制度設計として見たときの示唆――日本への視点
シンガポールの制度設計を俯瞰すると、投機抑制は単なる「高税率政策」ではなく、
・取得時課税(BSD・ABSD)
・短期売却課税(SSD)
・名義・信託・持分操作に対する監督
・紛争化した際の司法判断
という多層構造によって成立していることが分かります。
これは単なる市場規制ではなく、「住宅は居住インフラである」という政策思想を、税制・不動産法・司法運用の全体構造として組み込んだ制度設計と評価することができます。
現在の日本においても、外国人投資家の流入による価格形成の歪みが社会問題化しつつある中で、単純な規制強化や価格抑制策だけではなく、税制設計・所有制度・名義構造・取引コスト設計といった制度全体としての設計思想が問われ始めているといえます。
本稿で整理したシンガポールの枠組みは、日本人の不動産購入実務にとっての参考であると同時に、日本の不動産制度・住宅政策が今後どのような方向性を採り得るのかを考える上でも、重要な比較素材になるといえるでしょう。
「投資対象としての不動産」と「居住基盤としての住宅」をどのように制度的に区別し、バランスを取るのか。
この問いに対する一つの制度的回答が、シンガポールの不動産政策に示されているといえます。
